過激派グループ「連合赤軍」による「あさま山荘事件」は、その後発覚した仲間の大量リンチ殺人事件などと合わせて「連合赤軍事件」と呼ばれる。一連の事件は当時の社会に衝撃を与え、学生らによる社会運動に対する国民の支持を一気に失うことにつながった、と指摘されている。
連合赤軍はあさま山荘事件により消滅したが、その後、別の過激派グループ「日本赤軍」が1970年代以降、海外でテロ事件を次々と起こした。日本赤軍のメンバーは今も逃亡しており、警察が捜査を続けている。
過激派グループは60年代からの学生運動が過激化するなかで生まれていった。
当時、学生らは長期化するベトナム戦争や日米安保条約改定、大学の学費値上げなどに反対し、社会の変革をめざして運動を展開、警察部隊とも衝突を繰り返していた。
連合赤軍と日本赤軍、その後
連合赤軍が結成されたのは7…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル